ネオンと提灯・夜景その昔

 昼間とはちょっと違う表情の東松山の夜の写真を集めてみました。フィルムカメラでの夜景写真は撮影(露出、手振れ対策)が難しかったこともあり、昔のものは多くは残されていません。


七夕祭り・ますや本店前(昭和31年)
七夕祭り・ますや本店前(昭和31年)
材木町ますや本店前から西方向を撮影した写真です。写真右中央の看板の文字は「ますや本店」、七夕飾りに重なる縦長楕円看板の文字は「内田盛大堂」です。昭和32年のほぼ同じ位置で撮影した次の写真と見比べてみてください。
東松山市広報広聴課提供
七夕祭り・材木町(昭和32年)の写真の一部
七夕祭り・材木町(昭和32年)の写真の一部。この写真はフォト歴「賑わい・昔も今も」のページ内で全体を紹介しています。

商店街夜景・材木町クランク付近(昭和30年)
ひょっとこ(昭和29年)
合併誌(昭和30年刊)p76に掲載された写真です。合併誌では「市制施行以来、ネオン燈の増設は急速に拡がり、本町通り、材木町松葉町通りは夜毎にあたかも不夜城の観あり」と紹介しています。材木町クランク近くから西方向を向いて撮影した商店街の夜景写真です。写真左手前から京屋呉服店、小林菓子店、クリーニング店、右手前は坂本屋本店です。
東松山市広報広聴課提供

商店街夜景・材木町金子呉服店前交差点(昭和30年)
商店街夜景・材木町金子呉服店前交差点(昭和30年)
「八重椿ヘヤークリーム」のアーケードのあった材木町交差点方向を撮影した商店街の写真です。右手前はみやぎ化粧品店です。その先に「商工祭福引大売出し」の立て看板が見えています。
東松山市広報広聴課提供

商店街夜景・材木町八百留前(昭和30年)
商店街夜景・材木町八百留前(昭和30年)
前の写真の交差点を西に少し進んだ位置の写真です。右手前の商店は八百留、たばこ店の次は田口保健堂でしょう。左やや奥の灯りは「丸広百貨店」あたりでしょうか?
東松山市広報広聴課提供

市制祝賀行事「上沼の仕掛け花火」か?
市制祝賀行事「上沼の仕掛け花火」か?
建物のシルエットが右上方向に重なって写っています。水面の映り込みは二重露光があるにしても不自然です。東松山市史資料編第4巻p626に「市制祝賀行事」として「上沼、下沼下に大仕掛花火数台」という記載があります。水面の光は仕掛け花火のものかもしれません。次の写真は合併誌(昭和30年刊)P106掲載の上沼の雪景写真(部分)です。左側の建物の形、窓の位置が夜景写真の建物のシルエットとよく似ています。
上沼の雪景色・部分(昭和30年頃)
東松山市広報広聴課提供

市街地夜景・松葉町〜箭弓町方面(昭和49年頃)
市街地夜景・松葉町〜箭弓町方面(昭和49年頃)
現在の市庁舎から南方向市街地を撮影した夜景写真です。右端の光の帯は「ヂーゼル機器」の看板、その左に工場の照明が広がっています。中央に明るく写っている建物は4階建の丸屋ビル、その左はガソリンスタンドの灯り、背後の森は箭弓神社でしょうか? 旧消防署から同方向を撮影した次の写真(昭和40年代後半撮影)と比較してみてください。
旧消防署から撮影した市街地南方向の街並み
ヂーゼル看板、背景森の位置関係はほぼ同じですが、見下ろす角度と手前の街並みはやや異なっています。
東松山市立図書館ネガ所蔵

市制10周年のちょうちんまつり・材一(昭和39年)
市制10周年のちょうちんまつり(昭和39年)
東松山市政だより(昭和39年11月p4)に掲載された写真で、「東松山まつりは10月1日から5日間、全市をあげて盛大に行われました。」という記載があります。ちょうちんの台数は20数台(各町内、商工会等各団体)とあります。ちなみに写真の材二のちょうちんは銀賞に入賞しています。
東松山市広報広聴課提供

市制10周年のちょうちんまつり(昭和39年)
市制10周年のちょうちんまつり(昭和39年)
ちょうちんの前に聖火を持つ人形が確認できます。東京オリンピックを意識したものでしょう。残念ながらどこの町内あるいは団体のものか判別できません。撮影位置は前の写真とほぼ同じです。
東松山市広報広聴課提供

市制10周年のちょうちんまつり・本三(昭和39年)
市制10周年のちょうちんまつり・本三(昭和39年)
「四」の字がはっきり読み取れませんが、右側のちょうちんは、「本町四丁目」でしょう。だとしたら銅賞に入賞しています。中央のちょうちんはどこのものか判別できません。箭弓町の名入り提灯が写っていますが、後ろに箭弓町のちょうちんがあるとも考えられます。
東松山市広報広聴課提供

市制10周年のちょうちんまつり・上松本町(昭和39年)
市制10周年のちょうちんまつり・上松本町(昭和39年)
「祝市制10周年」「上松本町」の文字が読み取れます。市政だよりに「金賞/松本町」とありますので、金賞入賞ちょうちんの可能性大です。残念なことにピントがちょうちんより前に来てしまっています。
東松山市広報広聴課提供

市制10周年のちょうちんまつり・本町○丁目(昭和39年)
市制10周年のちょうちんまつり・本町○丁目(昭和39年)
本町のちょうちんであることは確実ですが、数字の部分(一・二・三)がはっきり読み取れません。ちょうちんは船を模したもののように見えますが詳細はわかりません。
東松山市広報広聴課提供

昭和40年のちょうちんまつり・本二または本三(昭和40年10月)
昭和40年のちょうちんまつり・本三(昭和40年10月)
「国体歓迎」「本二」(あるいは「本三」)の文字が読み取れます。光る眼をしただるまが印象的なちょうちんです。後ろにちょうちんが2台以上続いていることがわかります。東松山広報(昭和40年11月p4)に掲載された写真で、「夜空をねり歩く提灯の行列」と紹介しています。
東松山市広報広聴課提供

昭和41年のちょうちんまつり1(昭和41年10年1日)
昭和41年のちょうちんまつり1(昭和41年10年1日)
 この年のちょうちんまつりについて、東松山広報(昭和41年11月p7)で次のように紹介しています。「なかでも一日夜のちょうちんまつりは、国体を来年にひかえて、国体ムードをもりあげるためにいろいろと工夫をこらしたものが多く、沿道の人々の足をとめてにぎわいました。」また、中学校校庭で「埼玉県歌、秩父音頭、フォークダンス、ハワイアンバンド等が行われ…」という記載もあります。右下は東松山広報掲載写真。
東松山市広報広聴課提供

昭和41年のちょうちんまつり2(昭和41年10年1日)
昭和41年のちょうちんまつり2(昭和41年10年1日)
 左上は材二のちょうちんで、先頭にテニスの人形(右上写真)が乗っています。東松山市が昭和42年国体テニス会場となることにちなんだものです。下の写真は松葉町のちょうちんです。一番街はたらきやの前の道を塞いでしまいそう大きなものであったことがわかります。右下の写真が東松山広報(昭和41年11月p7)に掲載されています。
東松山市広報広聴課提供

参考文献

合併誌
 東松山市総務課編集 東松山市 1955
 市立図書館・高坂図書館所蔵 請求記号:H211ガ(貸出用あり)

東松山市史資料編 第4巻 近現代編
 東松山市市史編さん課編集 東松山市 1984
 市立図書館・高坂図書館所蔵 請求記号:H211ヒ(貸出用あり)
 ※東松山市立図書館で販売しています。

東松山広報 昭和39年4月〜昭和40年3月
 東山山市役所 1964
 市立図書館所蔵 請求記号:H317 ヒ(館内閲覧のみ)

東松山広報 昭和40年4月〜昭和41年3月
 東山山市役所 1965
 市立図書館所蔵 請求記号:H317 ヒ(館内閲覧のみ)

東松山広報 昭和41年4月〜昭和42年3月
 東山山市役所 1966
 市立図書館所蔵 請求記号:H317 ヒ(館内閲覧のみ)



【戻る】